浦賀ドック(2010年2月11日)


 ヨコハマヘリテイジ(横浜歴史資産調査会)から浦賀のドック跡の見学が出来ると言う案内が来ていました。浦賀湾は三浦半島の先端にあって、ペリーの黒船が来たところ。


浦賀ドック 航空写真 (2010年2月11日)

 早速浦賀に来て見ました。先ずはお腹を満たしてと言うことで、「味菜:あじさい」と言うお店に入りました。大変親切なお店で、食事を作っている間に常連さんがお菓子を呉れました。Caccoはもう、お気に入りで嬉しそうにお店のお客さんと話しこんでおりましたとさ。


浦賀ドック 味菜の店内 (2010年2月11日)

浦賀ドック お昼ご飯 (2010年2月11日)

浦賀ドック 住友重機械工業浦賀艦船工場 入口 (2010年2月11日)

浦賀ドック 外観は綺麗で工場跡とは見えません (2010年2月11日)

浦賀ドック 浦賀の山を望む (2010年2月11日)

浦賀ドック 春には桜が綺麗だとも思います (2010年2月11日)

 さてそれはともかく、浦賀造船所跡地の工場に入っていくと、丁度13:00からの説明ツアーがあるとのこと、息を切らして参加することにしました。
 説明の方は「亀井」さんと言う方で、以前は横浜市の職員だったとか、ヨコハマヘリテイジのメンバーで、今は横須賀市の職員さんでボランティアで説明員になっていると言うことでした。
 大変気さくな方で、いろいろ見せていただきました。あいにくの小雨で、冷たい日であったため、この日の見学者は私達を入れて5名、中年のおじさんとOL風の2人連れの女性達と私達が総勢です。
 亀井さんも寒くて余り気が入らないようでしたが、説明していくに従い、熱が入り最後は普段案内しないようなところまで、案内してくれました。


浦賀ドック 解説の亀山さんかな? (2010年2月11日)

浦賀ドック 参加者の方 (2010年2月11日)

浦賀ドック 今日も一日お願いするなっしー (2010年2月11日)

 さて、ドック跡は船一艘分が丸々入る大きさのもので、元々は煉瓦で作ってあります。ドックの大きさはおよそ幅30メートル、長さ200メートル程度のものでしょうか、地表で見るとさほど大きく感じませんが、上から見るといやあでかいなあって思います。 


浦賀ドック 浦賀の山に向かって (2010年2月11日)

浦賀ドック 海側を望む (2010年2月11日)
                
 住友造船所の最後のお仕事が東京湾フェリーの「しらはま丸」の修理でした。
 この黄色い箱のようなものは、中央に水糸が張ってあり反対側にも同じようなものがあるので、これを使って修理する船の位置決めをするのだそうです。


浦賀ドック 水平儀みたいなもの (2010年2月11日)

 船を導きいれるのは、海側にある衝立を海の中に倒してやると、どっと海水が入ってきてこのドックの中が水で満たされますので、この青いウィンチでバランスよく巻き取って所定の位置に持ってきます。


浦賀ドック このウィンチが働き者です (2010年2月11日)

浦賀ドック 走行クレーンが馬鹿でかいです (2010年2月11日)

 3~4時間かけて排水ポンプで水は排出し、それから船の修理に掛かります。浦賀ドックは日本に2基しか残っていない煉瓦ドックのひとつで、もうひとつも浦賀にあり、川間ドックと言われています。
 何しろ、煉瓦ドックで現存するのは、世界でも4基しかないそうですので、そのうちの半数があるというのは凄いことです。


浦賀ドック エバンゲリオンを彷彿とさせる (2010年2月11日)

浦賀ドック これがクレーンのブーム (2010年2月11日)

浦賀ドック クレーンを見上げる (2010年2月11日)

浦賀ドック これは反対側の小型クレーン (2010年2月11日)

 この1号ドックは修理専用で、船の建造はしませんでした。ここの煉瓦積みは、「フランス積み」(正確には「フランドル積み」)と呼ぶものです。


浦賀ドック 珍しい煉瓦積ドック (2010年2月11日)

浦賀ドック 周囲の煉瓦壁 (2010年2月11日)

 ここの浦賀造船所は、1853年のペリー来航を期に江戸幕府が造ったものです。日本初の軍艦「鳳凰丸」を建造し、日本初のドライドックが設置され、太平洋横断を行った「咸臨丸」の整備も行われたと言う歴史的に大変貴重な遺跡です。
 この浦賀ドックは1899年完 成で、駆逐艦や護衛艦、青函連絡船の建造で有名です。神風型、睦月型、特型駆逐艦、その後の陽炎型や秋月型など、連合艦隊で艦隊型主力駆逐艦として使用されたそうで、戦争オタクの方々には堪らない所だといえます。
 このクレーンの上に更にブームが乗るので、その威容はいや増すばかりであったでしょう。でも、これらの代物ってどうしてガンダムやエバを思い出しちゃうんでしょうね。

 このコンクリートの列は、船の底部を支えるもので、精度よく並んでいます(穴の位置が寸分の狂いも無く通っている)って言うか、一歩間違えると、船が倒れちゃうんです。恐い、恐い。
 このドックの底で数回コンサートが開かれたとか。へえ~・・・。


浦賀ドック ドックの底のコンクリート船台 (2010年2月11日)

浦賀ドック 底に降りてみると・・・ (2010年2月11日)

浦賀ドック コンクリートの上に高さ調整用のウマが乗っている (2010年2月11日)

浦賀ドック 雨も降ってきて皆さん寒そうです (2010年2月11日)

浦賀ドック 船台には穴が開いています (2010年2月11日)

浦賀ドック この穴は向こうまできっちり通っています (2010年2月11日)

浦賀ドック さて、皆さん、よく判ったかな (2010年2月11日)

浦賀ドック 海側の海水流入ハッチを望む (2010年2月11日)

 上に登ってみると、何やら錨がごろごろ、これは修理した外国船が、修理代を支払わないで逃げちゃうのを防ぐ意味があったのだそうです。船は錨がないと航行出来ないのだそうな???
 じゃあ、ここにある錨って何処の船のものだあ・・・。


浦賀ドック 放置された錨 (2010年2月11日)

浦賀ドック まるでオブジェのようです (2010年2月11日)

浦賀ドック 巻き上げ装置の一部 (2010年2月11日)

 亀井さんの説明は続く。ここはドックの一番海に面したところ。周りの手摺は腐っているので当てにしないでください・・・今日は雨ですので、足元に気をつけてくださいねと注意をされたけど、狭い渡り板を通ることに・・・。
 へっへっへっ、恐いよう~。


浦賀ドック この先の板が60㎝位でまた手摺が頼りない (2010年2月11日)

浦賀ドック ここの隙間を歩いてきました (2010年2月11日)

浦賀ドック 雨の日は特別に危ない感があります (2010年2月11日)

 ポンプ室に寄って見ますか?と誘われ、雨がとても冷たいので暖かいところに行きたいもんですから全員が「うん、うん!」と頷いたのは言うまでもない。
 このポンプ室には、明治の時代の窓の一部が残っているのだそうで、ご覧の通りレトロっぽい飾り窓だった。昔の人は木造の建具でも、いい仕事をしていますねエ。


浦賀ドック ポンプ室の外観、普通の工場のようです (2010年2月11日)

浦賀ドック ポンプ室の内部 (2010年2月11日)

浦賀ドック 左手の入り口が明治の時代のものらしく、デザインがレトロ (2010年2月11日)

 続いて、造船所の工場に入ります。色々な加工機械が並び、壮観です。
 天井にはホイストクレーンがあり、ドックからはずされた機械のメンテナンスが行われます。
 空間を生かした中二階の事務室。う~ん、レトロでここでお昼を食べたり、事務を取ったり、忙しい時にはここで仮眠を取ったことでしょう。傍らには、昔懐かしい達磨ストーブがあり、寒い冬にはみぞれ雪を見ながら、皆で暖を取ったと思われます。


浦賀ドック ドックに近い側の工場 (2010年2月11日)

浦賀ドック この工場の奥が大きい工場になっています (2010年2月11日)

浦賀ドック 中二階の工場事務所 (2010年2月11日)

浦賀ドック 何かの機械、個人名が書いてある (2010年2月11日)

浦賀ドック 大工場の内部 (2010年2月11日)

 トラッククレーンの運転席は、大正13年11月のもの。おい、おい、大丈夫か?おっこちゃわ無いのか。12,3mはある高いところだ。なんて言っているうちに、亀井さんはどんどん次のところに案内をしていきます。
プロだなあ、亀井さん。


浦賀ドック 高いところにある操作室 (2010年2月11日)

浦賀ドック 船の艦橋に似てる事務室 (2010年2月11日)

浦賀ドック レトロな時計 (2010年2月11日)

 見学コースには無いんですがねとは、亀井さんの弁。ここは屋外にある造船所だ。
 遥か向こうにある建物が、船の船尾に当たる。先端がこの「スヒード20k(m)」と書かれた辺り。いかに大きなものか判ろうと言うもの。
 このインクライン(傾斜鉄道)に船が乗り、美女のワインによる祝福を受けながら、するすると海に滑り落ちていく訳だが、毎回旨くいくとは限らない。うまく滑って行くために、このレールには石鹸が塗られていたんですよ。ちょいとした雑学でした。


浦賀ドック 進水式用のインクライン (2010年2月11日)

浦賀ドック 海側のインクライン (2010年2月11日)

浦賀ドック 柵の中はこんな感じ (2010年2月11日)

 もうひとつ秘密の処をご紹介しましょうと連れて行かれたのが、先に案内された工場の中にある昔の事務所跡だ。普段はここは危険なので、案内をしないのだとか。やったね。
 足の踏み場もなく、電話の交換台が転がっている。訳の判らない配電盤も転がっていた。こんな溜まり場もあったんですよと案内された小部屋。出勤した人の名札の部屋に、なにやら新興宗教っぽい人が飾ってあり、「安全第一」と書かれていた。誰だ!これは。


浦賀ドック 先ほどの工場を望む (2010年2月11日)

浦賀ドック なぜか工場の中に咸臨丸の模型が・・・ (2010年2月11日)

浦賀ドック 治具置場 (2010年2月11日)

浦賀ドック どうやら機械の使用票のようだ (2010年2月11日)

浦賀ドック この方は何方でしょう (2010年2月11日)

浦賀ドック この方は何方でしょう その2 (2010年2月11日)

 中二階の隠れ小部屋にあったチェーンブロック(人力揚重機の一種)の束が沢山掛っておりました。
 こんな小部屋があり、意味不明の化学薬品の容器やボンベがあること自体、サティアンのようでした。


浦賀ドック チャーシュウが吊るされてる?チェーンブロックです (2010年2月11日)

 二階に上がろうということになり、真っ暗闇の中で登り始めたが突然沸き起こる悲鳴の渦、何事が起ったのか?階段を何かが転げ落ちていく音が…。うさおの足にも何かがぶつかった。まるで生首のような感触だった。
咄嗟にシャッターを押すと写っていたのがこれ、灰色の猫君でした。丁度Caccoの足元をすり抜けていく瞬間でした。
 えれえ、怖かったです。むこうも吃驚だったでしょう。


浦賀ドック 2階に繋がる急な階段 (2010年2月11日)

浦賀ドック わっ、生首が・・・猫でした (2010年2月11日)

 二階は昔の事務所、色々な什器がまだ捨てられずに放置されておりました。がっ、でもここ昭和60年代の代物で、遺跡的な面白さはありませんでした。食べるものも無いこんな処で、猫はどうやって暮らしていたんでしょうか?疑問です。
まあ、オウム真理教のサティアンみたいだったので、とりあえず良しとしましょう。
(何が~?)


浦賀ドック 2階の事務室(廃墟) (2010年2月11日)

浦賀ドック 事務室内部 (2010年2月11日)

 そのあと事務所に帰り、ボランティアの方々の仕事部屋まで見せてくれました。我々のどこが気に入ってここまで見学させてくれるんでしょう。亀井さん。
 当日は、このドックの道具類の展示と、明治の頃のドックの事始めも展示されていました。


浦賀ドック ドック、工場の治具類 (2010年2月11日)

浦賀ドック 限界ゲージ 何でしょうか (2010年2月11日)

浦賀ドック 不二越工機とありますが (2010年2月11日)
  
浦賀ドック 咸臨丸 古事 (2010年2月11日)
 
浦賀ドック 福沢諭吉 (2010年2月11日)
 
浦賀ドック 勝海舟 (2010年2月11日)
 
浦賀ドック ジョン・M・ブルック (2010年2月11日)

浦賀ドック インターナショナルホテル (2010年2月11日)

浦賀ドック 同 由来 (2010年2月11日)

浦賀ドック メーア島の海軍造船所 (2010年2月11日)

浦賀ドック メーア島の海軍造船所 (2010年2月11日)

 ここの浦賀ドックに働いていた職人の方々は、手の感触でミクロン単位の精度の製品を作っておりましたし、治具も自作しておりました。
 その例として、リベットの断面をお見せします。
 

浦賀ドック 船で使われたリベットの断面 (2010年2月11日)

 浦賀ドックには、ドックで使われた煉瓦で造られた煉瓦塀があります。だいぶ年季が入っているのでしょう。色々補修の手が入っています。大きな地震も被災しているのか、大きな亀裂も出来ていました。
 これらのものは、横須賀市が是非歴史遺産として残しておいて欲しいものです。



浦賀ドック 造船所の煉瓦外壁 (2010年2月11日)

浦賀ドック 造船所の煉瓦外壁 (2010年2月11日)

浦賀ドック 造船所の煉瓦外壁 (2010年2月11日)

浦賀ドック ドックだけに犬釘の車止めだ (2010年2月11日)

 浦賀にはポンポン船の渡船があることが知られています。浦賀湾に隔てられた街を行き来するのに、この渡船は重要な交通手段だったようです。
 渡船乗り場は「浦賀港引揚記念の碑」の近くにあります。船が対岸にいるときには、呼び出しボタンで来て貰うシステムのようです。残念なら、船には乗れませんでした。
 ペリー来航の折、浦賀に奉行所が置かれた享保10年に出来たとされています。
 浦賀町が渡船の運営に関わったのが大正6年の頃で、この頃が渡船の最盛期だったそうで、1日の平均乗船客が1,000人にも達したそうです。
 現在の船(愛宕丸)は、平成10年8月9日の就航だそうで、木造船からFRP製の船になったとか。少し味気なくなったようです。
 渡船場にある江戸情緒を滲ませた処も、何だかトイレみたいで「え~っ」てな代物でしたがね。いや、本当にトイレだったのかな。


浦賀ドック 浦賀港引揚記念の碑 (2010年2月11日)

浦賀ドック フェリー乗り場の案内図 (2010年2月11日)

浦賀ドック 関東大震災慰霊碑 (2010年2月11日)

浦賀ドック 浦賀港を望む (2010年2月11日)

浦賀ドック トイレの脇の浦賀の渡しの碑 (2010年2月11日)

 とにかく、浦賀は軍事港だったせいか、防空壕が多かった。今度はゆっくり取材しましょう。


浦賀ドック 京急浦賀駅の近くの防空壕跡 (2010年2月11日)

浦賀ドック 京急浦賀駅の近くの防空壕跡 (2010年2月11日)

浦賀ドック 街路灯のデザインは船の帆です (2010年2月11日)


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