「自然に逝く
安心して死を迎えるためのお作法」
矢作直樹・著/2024 年 扶桑社文庫
Tomy jr.
《総評》
医師であり救急救命センター長として多数の命を看取った体験を持ちながら「人は死なない」という本を著し、「人間の肉体は死んでも魂は死なない」と主張して物議を醸した著者の死生観に関する著作。2020
年出版の「『自然死』のすすめ」(扶桑社)を加筆修正した文庫版。
《構成と内容》
はじめに「死ぬこと」は終わりではありません
第一章 命は、終わらない
第二章 感謝上手は、死に上手
第三章 みんな死ぬときは、ひとりです
第四章 お迎えが来る日まで、精いっぱい楽しむ
第五章 「死に上手」になるための準備
第六章 今の医療で「死に上手」になるために
第七章 「死ぬこと」は自然にまかせて
《著者プロフィール》
◆矢作直樹(やはぎ なおき)。1956 年横浜生まれの医師、東京大学名誉教授。金沢大学医学部卒、元東京大学附属病院救急救命センター長。著書に「人は死なない」(バジリコ)他多数。
《読書の経緯》
高校時代に母親の薦めで高橋信次著「縁生の舟」を読み、人間の本体は「魂」であって、肉体はこの世を渡るために乗る舟のようなものという説を信じている私にとって、矢作氏の「人は死なない」という本は得心いく内容だった。以来、彼の著作は何冊も読んでいるが、今作は比較的新しく彼の死生観を主題とした内容だったので興味を持って読んでみた。
《所感》
救急救命センターで数多くの命を看取ってきた著者が死に関して一貫して主張しているのは「死は誰でも経験する普通のことである」という点だ。遺族の「何故、病院なのに命が救えないのか」という声を多く聞き「人間には寿命があり、どんなに病気を治療しても健康に留意しても人間はいつか必ず100%死ぬ」という事を忘れているのではないかと嘆く。確かに我々はどんな重篤な状況でも救急車で大病院に運べば助かると信じている節があるのは確かだ。
はじめに著者は自身の死生観を開陳している。人間の本質は魂であって肉体はこの世で生きていくためのレンタカーのような乗り物にすぎないこと。我々の魂はあの世からこの世に来て(産まれ)、やがてあの世に還る(死ぬ)存在であるのだ、と。従って「死」が怖いのは、どうなるか分からないという不安からの恐怖であり、実際には以前居た場所に還るだけなので、何も怖がる必要はない、むしろこの世よりも快適で良いところだと説いている。
近年は大家族から核家族化が進み、高齢者の一人暮らし(独居老人)が増えることによって、誰にも看取られずに孤独死となるケースが社会問題化している。死後相当日数が経過して死体が傷み住居が事故物件化するのは残された人々にとっては確かに問題だが、著者は 「人間は生まれる時も死ぬ時も一人なので、孤独死は本人にとっては決して不幸なことではない」と主張する。著者の母親も90 代まで矍鑠とした一人暮らしの末に孤独死をしている。
著者は医師としての経験から「何故この病状で助かるのか?」あるいは逆に「何故この病状で亡くなってしまうのか?」と、不思議に思う事がよくあったというが、それは「人は病気や事故で死ぬのではなく寿命で死ぬ」からだという。そしてその寿命は、両親や環境も含めて生まれる前に自分で選んでくるといい、それは今世における各自の「魂の成長」に必要な課題(テーマ)によって選んでこの世に修行をしに来るからだということらしい。
しかし、我々は自分が生まれる前にあの世でそんなことを考えていたなどということも、この世における自分の課題(テーマ)や使命(ミッション)が一体何なのかも全く覚えていない。
これらを忘れてしまうのは、覚えている必要が無いばかりか、むしろ覚えていない方がより深く多くを学べるからだという。こうした死生観は古今東西で一部の宗教家などが霊的体験を通して主張してきたことに合致するが、我々一般人には確かめようもないことである。
著者は元医師つまり科学者だが現代科学では証明できない事を否定しない立場を取っている。むしろ自身も多くの霊的な体験をしたようである。霊媒師に降霊した亡き母親と会話をした事や、滑落して九死に一生を得た雪山から「二度と山に来るな」と言われた?事などは「人は死なない」でも著していたが、産まれた時に「また産まれちゃった」と思った事やとりあげてくれた医師が言っていた言葉をテレパシーとして覚えているとのことである。
意外なのは医師だった著者が「健康診断は受けない」と宣言していることだ。それだけ自分の身体は自分が一番よく知っているという自信があるからだろうが、同時に不治の病などが見つかって手遅れだったらその時は寿命だと思って受け容れる覚悟があるのだという。人間は食べられなくなった時が死を迎える時だという。タイトルにある「自然に逝く」というのは、そういう状況になったらジタバタせずに死を受け容れるという姿勢だ。
ところが今の病院で行う延命治療はそのような「自然死」をさせてくれない。口から食物が摂れなければ点滴などで栄養を注ぎ込む。これは消化器や肝臓などに負担をかけるため本人の身体にとっても決して望ましいものではないという。従って、輸血、人工呼吸器、胃瘻、人工透析、血漿交換など、終末期における延命治療はどうしたいのか、リビングウィル(終末期医療に関する事前指示書)などで具体的に記しておくよう勧めている。
結論として、著者は元病院勤務の医師でありながら「病院は(自然に)死ぬ場所ではない」として自宅に往診してくれるような主治医を持ち、自宅で死ぬ事を推奨している。そして我々が今世ですべきことは、寿命が来て命が尽きるまでは「生きる事に集中して今を存分に楽しむこと」だと説いている。「過去」を悔いてみたり「未来」を憂いてみたりすることなく、神道で「中今」と呼ぶ、まさに「現在」に焦点を当て「今を楽しむ」ことに尽きるという。 (2026.10.26)
