家に白黒テレビが入ってきたのは多分小学校高学年か、中学生の時。隣の大工のお爺さんは相撲か、プロレスを見ていたのでドラマは見せてくれませんでした。
「ひょっこりひょうたん島」は見た記憶があるので1930年代の中頃かな。
ドラマは米国のものが多く入ってきており、caccoと同じように「うちのママは世界一」などを観ていました。
うちのママは世界一 ウィキペディアより
このお宅にあるオーブンが不思議でした。小学生の頃ですが、パン屋さんにオーブンがあることは知っていましたが、店先からはどんな機械なのか見えませんでした。
ドラマではアメリカのご家庭には、各家一台はあるんですよ。すげえなあってもんです。
オーブン Getty Imagesより
今ではオーブンをお持ちのご家庭も多々あるでしょうが、終戦から10年後の時代では、とんでもない文化調理製品でした。朝鮮動乱の景気が良くなった時代で、ようやく自動車や洗濯機は見かけることはありましたが、オーブンはね、吃驚です。
今ではオーブン付き電子レンジがあって、パンやケーキが作れるようです。うさおも買いましたが一度も使ったことのない機能でした。
ニシサンのお宅で自家製パンのパーティをされたときに、ああ、オーブンを使いこなされているんだと思いました。
何の映画か忘れましたが、自宅を襲撃されたときに、オーブンの中に火薬を仕掛けタイマーで爆発させるシーンがありました。日本の家では何か無理そうな設定の映画でした。日常茶飯事にある道具を使って反撃する。電子レンジだったら爆発させることは出来るかなあ。
「うちのママは世界一」は、米国では「ドナリード・ショウ」として放送されていました。娘役で出ていたのがシェリー・フェブレーです。後に「ジョニー・エンジェル」などを歌って歌手としてデビューしていました。
「シェリー・フェブレー」という言いにくい名前だったので、逆に覚えちゃいましたね。
シェリー・フェブレー ウィキペディアより
