読書評 正しすぎた人
        広岡達郎がスワローズで見た夢」
        長谷川晶一・著/2025 年 文藝春秋


  

                       Tomy jr.
《総評》
1932 年(昭和7 年)生まれの広岡は、今や日本球界における最長老である。V9 以前の巨人の遊撃手でヤクルトと西武を日本一にした名監督でもある。
本書はコロナ過を挟んだ7 年間にわたる広岡および関係者への電話および対面取材により、球団創設以来初優勝となった「1978 年のスワローズ」の姿を広岡達郎という指揮官を中心に描いている。
ほぼ半世紀前の事で関係者の多くは既に他界しているが彼らの著作や言行録等も丹念に掘り起こし“妥協なき厳格な指揮官”というパブリックイメージの中に流れる熱い人間的な側面まで描き切ったノンフィクションジャーナリズムの秀作である。
《構成と内容》
プロローグ「心のスイッチ」は押せるのか?
第一章 負け犬根性を払拭せよ!
第二章 ローテーションを確立せよ
第三章 鉄壁の守備陣を作れ!
第四章 ジャイアンツコンプレックスを克服せよ!
第五章 冷酷非情な名将と素顔のパパ
第六章「あんなチームに負けてたまるか!」
第七章 空白の二六日間
第八章 広岡革命、結実のとき
第九章 日本一
第十章 砂上の楼閣、夢の終わりに
エピローグ 昭和の名将は、令和の老害なのか?
広岡達郎をめぐる旅-あとがきに代えて
《著者プロフィール》
長谷川晶一(はせがわ・しょういち)1970(昭和45)年、東京都出身。早稲田大学商学部卒業、出版社勤務を経て2003 年独立しノンフィクションライター。著書に「詰むや、詰まざるや 森・西武vs.野村・ヤクルトの2 年間 完全版」(双葉文庫)、「名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点」(KADOKAWA)、「プロ野球12 球団ファンクラブ全部に20 年間入会してみた」(集英社)、「道を拓く元プロ野球選手の転職」(扶桑社)、「神宮球場100 年史物語」(朝日新聞出版)など。日本文藝家協会会員。
《読書の経緯》
幼い頃からプロ野球を観ていた私も広岡の現役時代は殆ど記憶にないが、ヤクルトや西武の監督としてはリアルタイムで観ていた。今年は自分が古希に到達したこともあり、今年94 歳となる彼が日本球界最長老となったことに興味を持ち、「92 歳、広岡達朗の正体」という書籍に続いて、彼にスポットを当てた最近著である本書を読むに至った。
《所感》
本書の特筆すべき点は、「1978 年のスワローズのドキュメント」というより、その「ドキュメントを著すための取材のドキュメント」になっていることである。特に電話対応のやりとりや自宅での振舞いなど広岡自身への取材の様子をこと細かく描写することで、加齢を含めた生々しい人間・広岡達郎の実像が伝わってくる。著者にとって広岡は早稲田の大先輩でもあり長期に及ぶ取材姿勢や本書の筆致からは、広岡への敬愛の念が感じられる。

“六大学の貴公子”と呼ばれた広岡達郎は、読売巨人軍に入団した年(1954 年)に打率3 割超で新人王を獲得し、特に華麗な守備は同じ遊撃手の吉田義男(阪神)と並び称された。引退後はヤクルトの監督として球団創設以来初の優勝かつ日本一、西武の監督としても4 年間で3 度のリーグ優勝と2 度の日本一、ロッテでは日本初のGM(ゼネラルマネジャー)に就任し、ボビーバレンタイン監督を招聘して球団を10 年ぶりのA クラスに導いている。

このように、選手としても監督としても優れた実績を残して野球殿堂入りも果たしているレジェンドでありながら、一方では現在同居している愛娘に「父は円満退社が出来ない人」と称される。確かに巨人では監督の川上との確執で放逐されるように引退し、ヤクルトでも西武でも優勝の翌年に契約期間を残して球団フロントと揉めて辞任、ロッテでも自分が招聘した監督を解任した翌年に球団幹部と対立し契約期間を残して辞任している。

広岡の「歯に衣着せぬ物言い」や禁酒禁煙禁米食等の「管理野球」の徹底ぶりは周囲との多くの軋轢を生んだ。ヤクルトでも西武でも「広岡監督辞任!」の第一報に対しては移動中のバス内で自軍の選手達から歓声と快哉が上がり祝宴が始まったという。また評論家時代に渡米した際には巨人の米国キャンプ地からは取材拒否と出入り禁止が言い渡された。
広岡はそのくらい周囲から煙たがられ疎まれ嫌われていたようだ。

その反面、ひたむきに努力を続けて広岡に抜擢された水谷や八重樫のような若手選手や、当初は広岡の発言に「こん畜生!」と反発したものの、広岡の指導によって自ら成長を遂げ「広岡さんは間違っていなかった」と共感し崇拝者となる若松のようなベテラン選手や指導者も多い。守り勝つ野球を標榜した広岡の好みではなかった“赤鬼”マニエルも、後にMLB で監督をした際に「ヒロオカの言っていた事が今になって分かる」と言ったという。

広岡が師事していたのは思想家の中村天風、合氣道の藤平光一、スイング理論で知られる新田恭一等で、「正しいことを正しい方法で行えば必ず正しい結果が得られる」という持論は中村天風の教えだという。身体をアルカリ性にする食事法やウェイトトレーニングの採用、先発投手のローテーション確立など、半世紀も前に広岡が提唱したことは、現代の野球界にとっては、もはや常識になっているといってもいいだろう。

どんな時でも自らの信念を曲げず、クールで冷淡な広岡達郎。だが彼の中にはそんな外見とは真逆な、熱い血が流れる人間的な側面があった。一つは駆逐艦の機関長を務めた海軍少佐の父への敬慕。そしてもう一つは川上哲治への複雑な感情だ。広岡は川上巨人への怨嗟から「巨人に勝ち、川上を超える」事を目指した。しかしそれは巨人愛の裏返しであり、厳格な父親のような川上に「認めてもらいたい一心」からであった事が解き明かされる。

「老害」はセクハラやパワハラなどと同じく被害者側がそう感じるかどうかで決まるはずだから著者がエピローグで(帯にもあるが)「広岡は老害ではない」と断じている事には違和感を覚える。また本書のタイトル「正しすぎた人」は一見すると広岡にネガティブなレッテル張りをしている様に見えるが、読了してみると「広岡の(言い方は周囲と軋轢を生んでしまうが)言っている事は実は正しいのだ」という擁護のように思えてくる。(2026.4.12)