10年前に何をしていたのか。この年は旧日本帝国海軍の電探(レーダー)や通信施設を多く見に行ってますね。ここは横浜市泉区にある深谷通信隊跡です。
遺構探しはドキドキします。色々な事象の発見があって、こうであろうかと想像力が掻き立てられ、訳の分からない高揚感が沸き上がります。そして役に立たない知識が増えていきます。
ここでS君の歌は、「光の射す方へ」はどうだろうか。幾つかの間違いと誤解釈を乗り越えて遺構を探し出します。
僕らは夢見たあげく彷徨って
空振りしては骨折って
リハビリしてんだ wow wow
深谷通信隊跡 2015年5月4日
アンテナは何本くらい建っていたのでしょうか。深谷通信隊では円形の敷地の中に一本だけ建っています。
針尾の電波塔や蟹ヶ谷の分遣隊跡では、100mから200m位離して三本の電波塔が建っています。
昭和20年(1945年)の旧日本帝国海軍の中波の具体的な周波数は、航空機用の無線機なら300〜500kHzを用いました。これは通信が中波帯を用いているのと、微弱な電波を拾うために、波長の1/2か1/4の長さのアンテナ線を塔の間に張りました。
針尾の電波塔 googleより
蟹ヶ谷分遣隊跡 在りし日の電波塔の写真 中島信也氏蔵
でも少し待ってください。府中の平和の森公園の中にある米軍の極東第五空軍司令部通信隊のアンテナ塔は、深谷のものと酷似し一本だけ建っています。アンテナ線は垂直に張ったのでしょうか?両施設とも戦後、米軍接収されていますので、この辺りに何か手掛かりがありそうです。
極東第五空軍司令部通信施設 2015年1月3日
旧日本帝国海軍時代に電波干渉を防ぐため円形状に用地買収され、アンテナの周囲は道路とかが綺麗な円形をなしていることに気づきます。
深谷通信隊跡 地図 2015年5月4日
深谷通信隊跡 実際の地形 2025年10月23日 googleより
強力な電波の発信には多大な電力を必要とします。ゴジラに出てきそうな変電施設が現役で活躍していました。
深谷通信隊跡 変電施設 2015年5月4日
このリグが当時使われていた人気機種だと思います。九二式特受信機改四です。飛行機には九六式空三号が搭載され、電信および音声通信が可能でした。大変マニアックな内容の表紙になっちゃいました。電気通信系のプロの方にご意見を伺いたいくらいです。
久里浜駐屯隊 九二式特受信機改四 2015年4月4日
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蟹ヶ谷分遣隊跡 針尾の電波塔、
久里浜駐屯隊、
深谷・上瀬谷通信隊跡、
府中通信隊、