呉の煉瓦建物
うさお&Cacco
呉に着きました。午後には広島から新幹線で帰るので、午前中一杯が行動時間です。呉の街も開発が進んでおり工事が盛んでした。古いものがあまり無くならないと良いのですが。
JR呉駅 気温は上がりっぱなし 2025年7月11日
駅中の顔出し看板 2025年7月11日
駅に着いたところまでは元気なのですが・・・ 2025年7月11日
バスに乗って「昭和町れんが倉庫群」に行きます。ここは呉基地のすぐ近くにあり、もともとは旧呉海軍工廠の赤煉瓦倉庫群だったところです。魚雷の倉庫などに利用されていたそうです。
その途中に海上自衛隊呉地方総監部がありました。旧呉鎮守府だったところです。この建物には地下壕もあり、とても行きたかったのですが、日曜日しか一般公開がされていません。高齢者なので休日の混雑を避けたのが裏目に出ました。
とは言え、バスの中から総監部の煉瓦建物が見えると、立ち上がって写真を撮るものですから、バスの運転手さんに怒られたのは言うまでもありません。
微かに旧呉鎮守府が見える 2025年7月11日
海上自衛隊呉地方総監部(旧呉鎮守府) パンフレット「日本遺産のまち 呉」より
巨大な造船所が見えてきます。「大和のふるさと」の看板のある工場の屋根が見えてきます。ここは、かつて世界最大の戦艦「大和」が建造された場所です。
この屋根は旧呉海軍工廠造船部造船船渠(大和建造乾ドック)大屋根として残されています。
大和のふるさとの屋根 2025年7月11日
旧呉海軍工廠造船船渠 2025年7月11日
旧呉海軍工廠造船船渠 ここで戦艦大和を造った 2025年7月11日
旧呉海軍工廠造船船渠 2025年7月11日
あれは事務棟でしょうか、綺麗な煉瓦建物ですね。ここを管理しているジャパンマリンユナイテッド(株)呉事業所の関連施設でしょうね。こういう所に勤めたかったなあ。
ジャパンマリンユナイテッド(株)は、ざっくり言ってしまうと、住友重機械工業と石川島播磨重工業、日立造船、日本鋼管らが経営統合した巨大な造船会社(JMU)のことです。
多分造船会社の関連施設 2025年7月11日
バスは「アレイからすこじま」に着きます。「からすこじま?」 変な名前です。ローマ字の送り仮名を見ると「Alley Karasu Kojima」とありますので、「烏 小島」でしょうか?
パンフレットにある「アレイからすこじま」の名前の由来は、呉浦にあった「からすこじま」という小島の名称から来ているそうです。からすの漢字は当ててないのね。
ここは大正時代に魚雷発射訓練場として埋立したそうです。そう言えば遊歩道のあちこちに、年代物の大砲の遺構が見受けられます。
アレイからすこじま 2025年7月11日
潜水艦桟橋の門 2025年7月11日
目の前に多数の潜水艦群が現れてきます。昭和町のここは、海上自衛隊潜水艦基地隊があるためです。先に潜水艦を見たいですが、今日は時間も無いことですし、心流行るのを抑えてお目当ての煉瓦倉庫群を先に見て回りましょう。
港町珈琲店も煉瓦造りですが、通りに面している方は新たにリニューアルしたもので、裏に回ると煉瓦建物が残っていました。
港町珈琲店と倉庫群 2025年7月11日
港町珈琲店の建屋奥に煉瓦壁が残っている 珈琲焙煎所 2025年7月11日
建屋の妻側に煉瓦壁が残る 2025年7月11日
この珈琲店の道一本隔てた隣に、海上自衛隊第一潜水隊群司令部があります。その敷地内にまるで監視所のような施設があります。ちょっと何かを感じます。
奥の山道を登っていくと、海軍技術養成所跡や呉海軍工廠職工教習所跡があります。今は駐車場になっています。
海上自衛隊第一潜水隊群司令部(右) 2025年7月11日
監視所のような施設 2025年7月11日
日本遺産鎮守府 昭和町れんが倉庫群を見ていきましょう。ここは旧呉海軍工廠赤煉瓦倉庫群を、呉貿倉庫運輸株式会社が資材倉庫に用いています。前述のように元は魚雷の倉庫などに用いられていました。
日本遺産の標柱 2025年7月11日
昭和町れんが倉庫群俯瞰図 google mapより
第一建屋は「大之木ダイモ木材部」の看板が出ています。倉庫の表札は「呉貿倉庫運輸株式会社」です。倉庫内の写真はCaccoが許可をもらって撮っています。建屋は三棟の倉庫を一つに寄せています。
第一建屋 港町珈琲店戸の路地側 2025年7月11日
第一建屋 イギリス積のようだ 2025年7月11日
第一建屋 全景 2025年7月11日
第一建屋 第一棟 倉庫内 2025年7月11日
第一建屋 第二棟 倉庫内 2025年7月11日
第一建屋 第三棟 倉庫内 2025年7月11日
第一建屋道路側外壁 2025年7月11日
第一建屋 西側外壁 2025年7月11日
第二建屋は「澎湃館」というカフェやおみやげ屋さんの建物らしい。時間が無いので入りませんでしたが面白そうな感じです。この一棟はとても綺麗に残っています。
第二建屋「澎湃館」 東側外壁 2025年7月11日
第二建屋「澎湃館」 道路側外壁 2025年7月11日
第二建屋「澎湃館」 正面 2025年7月11日
第二建屋「澎湃館」 西側から望む 2025年7月11日
第三建屋は矩形の開口部の形から鉄筋コンクリート造に見えるが、コンクリート巻で補強をして煉瓦を撤去したのかも知れない。開口部に装飾めいたものがあるので、大正時代に建て替えられたものかなあ。煉瓦造に比べるとレトロ感に乏しいのは致し方ない。
第三建屋 道路側外壁 2025年7月11日
第三建屋 倉庫内 2025年7月11日
第三建屋 窓枠、硝子がレトロ 2025年7月11日
第三建屋 西側外壁 2025年7月11日
それでは目を海の方に転じてみよう。門柱には「潜水艦桟橋」と「海上自衛隊」の表札が掛かっている。この日は7隻の潜水艦が係留されていました。海上自衛隊潜水艦基地隊がありますからね、この日はこれでも潜水艦が少ない方らしいです。
たぶん、手前の二隻の潜水艦は「おやしお」型ではないでしょうか。横須賀港でも「おやしお」・「そうりゅう」型潜水艦を見ることは出来ますが、係留されているのは二隻くらいです。なにしろ横須賀は米国の艦艇の方が多いからね。
潜水艦桟橋 2025年7月11日
おやしお型潜水艦 2025年7月11日
呉潜水艦基地 2025年7月11日
潜水艦桟橋 2025年7月11日
この艦は敷設艦「むろと」です。敷設艦は、機雷や水中ケーブル、水中聴音装置という水中機器を海中に敷設します。機雷を設置して敵艦艇の航行を妨げる「機雷敷設任務」と、水中聴音装置を敷設して監視する「ケーブル敷設任務」があります
敷設艦「むろと」 2025年7月11日
こちら側にも潜水艦と支援艦が 2025年7月11日
潜水艦救助艦「ちはや」がいました。潜水艦救助艦は、事故で海底に沈座するなどして遭難した潜水艦から、乗員を救出することを主任務とする特殊な艦艇です。深海救難艇(DSRV)や無人潜水装置を搭載し、潜水艦と直接ドッキングして乗員を救助したり、災害発生時には物資輸送や被災者受け入れなどもします。
いやあ、懐かしいです。以前、観艦式に行った時に、乗せてもらった艦が「ちはや」でした。面白かったなあ。
※観艦式
潜水艦救助艦「ちはや」 2025年7月11日
潜水艦救助艦「ちはや」の主要装備品
この辺りが旧呉海軍工廠本部前護岸です。桟橋の下を見ていたら40㎝はあろうかというクロダイが悠々と泳で行きました。急いでカメラを向けましたが魚は消えていました。
向うの岸壁に魚雷積載用クレーンが残っています。
旧呉海軍工廠本部前護岸 2025年7月11日
魚雷積載用クレーン 2025年7月11日
魚雷積載用クレーン 2025年7月11日
至る所に大砲が展示されている 2025年7月11日
この碑は友人が戦地に赴くので正岡子規が詠んだ句です。
従軍する人を送る
陽炎に 心許すな 草枕
子規
子規の句碑 2025年7月11日
できれば、あの珍しい「ひびき型」音響測定艦を見たかった。双胴船だからすぐに見分けがつくと思います。それにして海も穏やかでのどかだなあ。
のどかな海 2025年7月11日
また海上自衛隊呉地方総監部の前を通ります。この周辺に、海上自衛隊呉警備隊、海上自衛隊呉教育隊、海上自衛隊呉音楽隊などの自衛隊の施設が多くあります。
日曜、休日なら内部の見学日があるかもしれない。呉に住んでいる人は羨ましいなあ。
海上自衛隊呉警備隊 古い大砲が残っている 2025年7月11日
海上自衛隊呉警備隊の入口 2025年7月11日
山村夫妻から、「てつのくじらを見なくては」と教えられました。呉駅から程ない処に海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)があり、2004年3月に除籍した潜水艦「あきしお」が展示されています。
残り時間は少ないけど、Caccoがチャチャと見に行ってくれました。うさおは知らないおじいさんと一緒に呉駅のカフェに座っておりました。今度来るときはちゃんと見に行くぞ。
「てつのくじら」と道路を挟んで反対側に、大和ミュージアムがあり戦艦大和の人気が高いことを物語っています。
「てつのくじら」潜水艦あきしお 2025年7月11日
潜水艦あきしお 迫力あるね 2025年7月11日
潜水艦あきしお ゆうしお型潜水艦 2025年7月11日
例によって自撮りでパチリ 2025年7月11日
大和ミュージアム 2025年7月11日
潜水艦「あきしお」 圧し掛かってくるようだ 2025年7月11日