寺尾城址
         馬場町にある寺尾城跡
 

                       うさお&Cacco

 大晦日に建功寺さんの「萬燈除夜」に行ったことがあります。建功寺さんは諏訪氏に所縁のあるお寺さんなので、諏訪梶紋を用いています。
 馬場町に諏訪氏の根城、「寺尾城」があったと聞いていたので、その石碑を見に行きました。
 2012年に訊ねた時には、道が狭くてカーブが曲がれず車がこすりそうだったので、それ以上の探訪はしませんでした。


馬場町にある配水塔 2012年1月1日

馬場町にあった寺尾城址の石碑 2012年1月1日

 もう一度、寺尾城跡を見てみたいと思い、だらだらと13年も経ってしまいました。今回はCaccoの従弟夫婦と現地を訪ねてみます。
 殿山と呼ばれる丘の上に、寺尾城があったと伝えられています。廓や砦のある山城だったそうです。未だに寺尾城の詳細については不明です。地元の歴史研究家が、このあたりだろうという地図を作っています。(下図参照)
 城主は信州の諏訪氏で1436年頃に築城し、1569年に武田信玄の小田原城攻略の際に、北条側についていたので、城主が留守の間に武田軍に攻められ、落城したそうです。何か可哀そうですね。


寺尾城があったと思しきあたり

今の地図と見比べてみる

 諏訪氏は新田氏なので本来なら家紋は、丸に一つ引両ですがなぜか梶紋です。石碑から少し東高校側に下ったところに、殿山公園があり「新編武蔵風土記稿」に依れば「寺尾城址」の空堀、土塁、曲輪が埋まっている筈です。

 早速、殿山公園に向かいます。うさお以外の三人はさっさと出向きますが、うさおは足を曳きづりながらとぼとぼ向かいます。Milkyさんが「あっ、あれっ!」と山の方を指さします。


山の方に何かある 2025年5月1日

 馬場町の配水塔の頭が見えています。窓も開いています。


配水塔の頭だ 2025年5月1日

 殿山公園の中に積まれている石垣は、当時のものでは無いと言われていますが、かなり大きい石を用いており昔の石垣っぽいんですけどね。


殿山公園入口 2025年5月1日

廓があったあたりか? 2025年5月1日

石垣の上の方が土塁か? 2025年5月1日

やっとここまで来ました 2025年5月1日

 大荷物背負って階段を昇り気息奄々です。

寺尾城の遺構
 寺尾城は戦国時代に、小田原北条氏に仕えた諏訪三河守五代にわたる城址である。本禄十二年(一五六九)十月、武田信玄の小田原侵攻のさいに寺尾城は没落したといわれている。城跡には、当時の空堀・土塁・曲輪など中世の城郭が残り貴重な遺跡となっている。
 町名の馬場・諏訪坂などに城のようすがいまに伝えられている。
鶴見歴史の会


探検隊は石段を進む 2025年5月1日

緑で見えないがここらに廓があった 2025年5月1日

土塁のあたり? 2025年5月1日

 登りきったところに公園の裏門があります。やっとたどり着いたあ。


裏門 2025年5月1日

 空堀があった辺りだと思われます。「ここだよねえ?」とあたりを見渡します。


空堀のあたり? 2025年5月1日

良く読めない説明看板 2025年5月1日

寺尾城址の発掘
 殿山公園から西方にかけての丘陵一帯は、寺尾城址として古くから知られていました。平成5年12月に、殿山公園の整備事業に伴う発掘調査が財団法人横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化センターによって実施されました。
 調査は東西に延びる空堀の一部を含めた丘陵頂部の170mの範囲を対象として行われました。発掘調査の結果、空堀は、断面が底の狭いV字形を示し、壁の角度(勾配)が50°~70°と急傾斜で地表面から堀の底までの深さが約3m、底の幅は約1mでした。堀のなかには土塁の崩落によると推測されるローム土が多量に堆積す、上位からは江戸時代の宝永年間に噴火した富士山の火山灰が発見されました。このことから、この堀は18世紀初頭には大部分が埋まっていたことが明らかとなりました。
 この発掘調査によって、「新編武蔵風土記稿」に記され「寺尾城址」として伝承されている中世城郭祉の存在を初めて考古学的に裏付けることができました。
平成6年3月 横浜市教育委員会


このような遺構が掘り出されました 横浜市教育委員会より

空堀、土塁を見るが草が茂ってよく分からない 2025年5月1日

 寺尾城址の石碑を見に行くのに方向を迷ってしまいました。


こっちでいいんだよねえ? 2025年5月1日

 住宅地の中に石碑は残っていました。石碑は変わりませんが、うさおはよぼよぼになりました。


寺尾城址の碑 2025年5月1日

説明文 2025年5月1日

 従弟のjunji君は馬場稲荷に行きたかったようです。うさおが歩けないの見て遠慮したのかな。馬場稲荷はもとは寺尾稲荷といい、寺尾城主の五代目馬之丞が馬術の祈願成就を行った稲荷社です。馬術上達や、馬場の安全祈願にご利益があるそうです。



馬場稲荷社 2025年5月1日 googleより