居留地境界石  2017年3月11日、4月8日、11月3日

 


居留地境界石地図
(横浜もののはじめ考に明治21年の詳細地図がある。googleより)

 ○が境界石の大まかな位置を示しています。番地名は明治の時代の呼称です。現在のものとは異なる可能性があります。
 現在確認されている境界石は、5本あると言われています。そのうちの1本が横浜開港資料館の中に、もう1本が山手十番館の玄関にあり、更にもう一本が山手ROUCHEの庭にあります。
 エリスマン邸とベーリックホールの間の道境にも1本、フェリス女学館大学裏門にも素性の判らい境界石があるそうです。
 兎も角も境界石は,横浜の歴史にとって、貴重なもののひとつでしょう。

横浜開港資料館の境界石

ウチキパンの前の境界石

 元町から谷戸坂に抜ける坂道の途中に、ブラフ積の石垣があります。その壁の袂に維新から明治時代のものと思われる、私有地と居留地との境を示す境界石があります。


居留地境界石 境界石のご近所の豪邸 2017年2月12日

居留地境界石 この左側の崖がブラフ擁壁 2017年2月12日

居留地境界石 ここに残っています 2017年2月12日

居留地境界石 おお、何とか字が読めます 2017年2月12日

山手十番館の境界石

 山手十番館の前にも、とても綺麗に残っています。風化してしまうといけないので、新旧、お見せします。上のところにある境界石より、横幅が広く、地上に出ている部分も長いです。ウチキパンのものは、字が不鮮明で「〇路境【地】界」と読めますが、山手十番館のものは、はっきりと「居留地界」と彫ってありました。


山手十番館の外観 2002年5月10日

山手十番館の前の居留地界石 2003年11月3日

山手十番館の前の居留地界石 2017年4月8日

山手十番館の前の居留地界石 2017年4月8日

 
14年経っていますが、あまり変わらないように見えます。下草が少し増えています。この日は雨だったので、石が少し黒っぽく見えます十番館のテラスの右側に置いてあるテーブルの金具が全く同じです。調度類は変えられていないということでしょうか。これはこれで必見です。

山手ROUCHEの境界石

 この十番館の隣に、山手ROUCHEというカフェ・レストランがあります。ケンちゃんが株主である山手十番館の株主招待券で、食事をしようと思いましたが、この日は結婚式があり、貸し切りで入れませんでした。雨で残念だね。
 ここの境界石は山手十番館のものと同じもののようですが、文字の部分まで埋まっています。書かれている文字は、山手十番館と同じで、「居留地界」と彫られています。目立たないので、ほとんどの人が見過ごします。


山手ROUCHEの外観 2017年4月8日

山手ROUCHEの前の居留地界石 2017年4月8日

山手ROUCHEの前の居留地界石 2017年4月8日

山手75番地の境界石

 もう一つの境界石も見に行ってみました。エリスマン邸とベーリックホールの間の道境のところです。額坂の近くで、旧75番地の処です。番地は変わらないようでした。


居留地境界石 この素敵なおうちは・・・ 2017年3月11日

居留地境界石 中區山手町七六番地のお宅 區が旧字だよ 2017年3月11日

居留地境界石 この境界石は「七十吾」と読める 2017年3月11日

居留地境界石 何か書いてあるが、字は読めない 2017年3月11日

山手268、269、265番地の境界石


 山手ROUCHEの脇の道を、北方小学校の方へ行ってみます。そこには,269番地境界石と268番地境界石があるはずです。265番地境界石も、11月に行ったらすぐに判りました。
 この辺りは高級住宅街なので、敷地も広く、意匠も凝ったお屋敷が多かったです。うらやましい。


境界石には関係しないが、年代物の崖地構造物があった 2017年4月8日

居留地境界石 この右手が北方小学校 2017年4月8日

居留地境界石 269番地境界石と言われるもの 2017年4月8日

居留地境界石 268番地境界石です どこだって? 2017年4月8日

居留地境界石 ここです 確かに字が読めます 2017年4月8日

 265番地の境界石は、すり減って普通の敷地境界石と見分けがつきませんでした。


居留地境界石 265番地の境界石 「番地」の字が読める 2017年11月3日

居留地境界石 265番地の境界石 2017年11月3日

山手142番地の境界石

 142番地の境界石は、韓国領事館の近くにあります。それにしても、立派なお屋敷ばっかりだなあ。


居留地境界石 甲142番地の境界石 2017年11月3日

居留地境界石 甲142番地の境界石 2017年11月3日

山手136番地の境界石

 136番地の境界石は、駐車場の中にありますが、背後のブラフ壁同様、消滅するのは時間の問題のような気がしました。今迄の境界石にも、天端に測量用の鋲を打った形跡があります。測量屋さんが、判り易いのでベンチマークとして、打っちゃたんでしょうね。ああ〜,もったいない。


居留地境界石 136番地の境界石 ブラフ壁を背負っている 2017年11月3日

居留地境界石 136番地の境界石 百三十六が読める 2017年11月3日

山手124番地の境界石

 124番地の境界石は、見つけ難いところにありました。ほとんどコンクリートに埋まっています。こりゃあ判らないよ。caccoも最初、違う境界石(現代のもの)を探し出してきて得意そうでした。


居留地境界石 124番地の境界石 埋まっている! 2017年11月3日

居留地境界石 124番地の境界石 何だかな〜 2017年11月3日

山手214番地の境界石

 214番地の境界石は、横浜共立学園の道路にあります。ここには、214番館と言う史跡建物があり、横浜共立学園が保存管理をしています。建物を挟む道路と階段の2箇所に境界石は存在します。


居留地境界石 214番館 学園の同窓会記念会館になっています 2017年11月3日

居留地境界石 214番地の境界石(道路側) 2017年11月3日

居留地境界石 214番地の境界石(階段側) 2017年11月3日

山手7番地の境界石

 7番地の境界石は、ごみ置き場の裏側にひっそりとありました。


居留地境界石 7番地の境界石 2017年11月3日

居留地境界石 7番地の境界石 ごみ置き場の裏だ 2017年11月3日

 帰る途中に、煉瓦壁の断片が擁壁にレイアウトされていました。


居留地境界石 途中の道すがらにあった煉瓦の飾り 2017年4月8日

居留地境界石 上の笠石は後からのもの ブラフ壁? 2017年4月8日

 11月3日の探訪のときには、山手十番館で食事をしようと張り切っていましたが、途中、山手の坂を下り本牧の町に降りた時点で、また坂を上って食べに行く元気は無くなり、山手隧道の近くの「奇珍」で食べました。
 「奇珍」はキッチンの洒落だと気が付いたけれど、この店の味付けは、確かに町場の中華屋さんと違う。独特な奇珍な味付けだ。うさおは好みですが。


居留地境界石 奇珍のお店 2017年11月3日

居留地境界石 奇珍のお店は歴史がある 2017年11月3日

居留地境界石 奇珍のねぎそば 2017年11月3日

居留地境界石 奇珍の焼きそば 2017年11月3日


 山手公園に向かう道路際に「Amie」と言う喫茶店を、caccoが見つけました。フランス語で、友と言う意味だとか。間違えて、「亜美さんですか」と喫茶店のママに聞いちゃいましたよ。このママは大変気さくな人で、色々な面白いことを教えてくれました。社交ダンスをしていること、主婦だったけど洋裁屋をしていたこと、お客さんの中に何かが見える方がいて、このマンションの2階は借りない方が良いと教えてくれ、事実借りた方が比較的短い期間で転居され、今も空いていることとか、気になる話ばかりでした。
 「誰でも参加できるアミ地元を語る会」の案内も呉れました。


居留地境界石 喫茶「Amie」 友と言う意味です 2017年11月3日

居留地境界石 社交ダンスの写真もある 2017年11月3日

居留地境界石 オーディオ装置が満載 2017年11月3日

居留地境界石 居心地が良いのでずいぶん長くいました 2017年11月3日


居留地境界石 地元を語る会のチラシ 2017年11月3日



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